第6回ツアー 二十~二十三番札所



 二十番:善峰寺 二十一番:穴太寺 二十二番:総持寺 二十三番:勝尾寺

 数日前(6月18日)に発生した「大阪府北部地震」の震源地は大阪府の茨木市でしたが、今回のツアーでお参りしたのはその茨木市(総持寺)を始めとして、震源地に近い箕面市(勝尾寺)や京都府亀岡市(穴太寺)などにあるお寺ばかりでした。
 訪れる前は建物などの損壊を心配しましたが、幸いにも目立った被害は無かったようです。茨木市内を走るツアーバスの窓からは、屋根をブルーシートで覆った家も見えました。被災された方々の一日も早い復興を願うばかりです。

    
 二十番札所 善峰寺
          よしみねでら

 善峰寺は京都の西方、西山と呼ばれる峰々の山腹に位置する。長元2年(1029年)、恵心僧都の高弟である源算上人が小堂を建て、自ら刻んだ千手観音像を祀ったのが始まり。室町時代には僧坊50余を数えるほど栄えたが、応仁の乱の兵火で堂塔伽藍を焼失した。

 本堂をはじめ現在の堂宇の多くは江戸時代に徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院の寄進で再建されたもの。また約3万坪の境内は回遊式庭園のようになっており、桜やアジサイ、秋明菊などが折々に咲き、紅葉も鮮やか。樹齢600年以上という国天然記念物の五葉松「遊龍の松」もみごと。

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 私のホームページの「関西花紀行」の2006年10月16日付けのページに『善峰寺の秋明菊』を載せています。もしよろしければ覗いてみてください。(ここをクリック

山   門

本  堂 (観音堂)

遊龍の松(樹齢600年、枝の全長37m) 御 朱 印


あ じ さ い 苑


 二十一番札所 穴太寺
           あなおじ

 穴太寺(あなおじ、又はあなおうじ、あのうじ)の歴史は奈良時代末期、大伴古麿が薬師如来像を安置したことに始まる。建物は再三の兵火により焼失し、現在の伽藍は徳川末期に再建された。「身代わり観音」を本尊とするが、他にも本堂の一隅に安置される、布団を被った釈迦涅槃像「なで仏」も信仰を集める。また桃山風の本坊庭園は丹波地方随一の名園といわれている。

山   門

本    堂

鐘    楼 御 朱 印

社務所 手前の築山には四季を通じて山野草が咲いている。


 二十二番札所 総持寺
             そうじじ

 平安時代の寛平2年(890年)に公卿で料理の名手、中納言藤原山蔭が開いた古刹。創建時は東西5丁、南北6丁の広大な寺領を有する大寺院だったが、戦乱の世を経て、大幅に縮小されたという。また藤原山蔭は本尊を造立した仏師に、千日問毎日違う料理を自ら作って供したことから庖丁道の祖とされ、総持寺は「料理の寺」としても名高い。境内の片隅には「包丁塚」が作られている。

山   門

本    堂


ぼけ封じ観音 御 朱 印

包 丁 塚


 二十三番札所 勝尾寺
            かつおうじ

 神亀4年(727年)、双子の善仲・善算両上人が箕面山中に草庵を結んだのが始まり。のちに光仁天皇の皇子・開成が来山し、両上人を師と仰いで出家、宝亀6年(775年)に堂を建てて、弥勒寺と号した。

 その後平安時代に時の朝廷から「勝王寺」という寺号をもらったが、寺側が遠慮して「王」の字を「尾」に改めて、「勝尾寺」(かつおうじ)と名乗った。現代では人生全てに「勝つ」寺として、試験・病気・選挙・スポーツ・芸事など、あらゆる勝負の成功を祈願する人々が、「勝ちダルマ」を授かりに訪れている。

山 門 境内の至る所にダルマが置かれている。

本    堂

太 子 堂 御 朱 印

願い事が叶い、両目をいれて奉納された勝ちダルマ。



 梅雨の真っ直中にあるため、雨に降られることは充分に覚悟していましたが、見事にその通りになり、雨中の参拝となりました。片手に傘、片手にカメラの撮影だったため、ややピントの甘い写真になりました。(苦笑)



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